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zoom RSS 一臼先生の<思い出A>

<<   作成日時 : 2009/09/23 22:47   >>

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                                   <河田一臼記念館TOPへ>

吉鷹松香さん所有の秘蔵写真〜
  昭和27年(1952)当時の一丘先生揮毫の「天地無私春又帰」襖七枚作品
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                この部屋が、朝日高書道部初代当時の練習場になっていた



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                 <平成11年(1999)吉鷹松香・旅日記帖より>

   一臼先生に再会して                  吉鷹松香  記
 平成十一年三月十四日大津市大萱のお宅へ訪問。恩師一臼先生のお顔を見たとたん、あまりにも早い歳月の流れを感じました。恩師との出合いより半世紀以上も経っていることの重味をひしひしと感じさせられた私の思いは一足飛びに三ッ組の少女に逆戻りしてしまいました。
 兄弟とのコミュニケーションを知らない私は親のロボット同然で、赤面恐怖症も甚だしく他人から声をかけられると、すぐには返事が出来ずくやしさに涙が先に出てくる始末。今では主人から「少し黙っていろ」と言われている私には到底考えられない私がそこにはあったのです。
 電流に打たれた如くに私の脳裏に飛び込んできた先生のお言葉は「ああ 破れたり 破れたり されど私の命 今日も続けり」「萬有の 無量時空に去来して ついに淋しき人間の業かな」それは私の人生観そのものを百八十度変える必然的な出合いだったのです。
 先生は三十代の若さ、戦後教育の荒廃した中、書を立て直そうと情熱の全てをぶっつけ苦しい暗中模索の時代だったと思います。そして宇宙的発想で基本八十一本を生み出し、空を切り宙を舞う千変万化の筆の妙技、余白に活を生じる独自の書を完成されたその一時期、私も筆を執り紙の上で実に格闘技書に挑戦し修業したものです。真夜中に墨を磨り、祈りの中濃き墨を真白い紙の上に一点おろした時のあの荘厳な身の引き締まり、全紙二枚を一気に書き上げ、二曲屏風として毎日書道展に出品したあの感激は終生忘れられません。
 お酒が入り、興の乗った先生が中納言の襖七枚に大きな竹筆で揮毫された“天地無私春又帰”この言葉に何度も救われました。先生のご記憶に残る傑作“無量寿”“和”宝舟そのものの“無”朝日高校退官の時の感無量の“飛花落葉”思い出を一杯詰めた先生の多くのお軸と共に大切に保管致しております。
 ベットの中ではありますが八十八才とは思えないお元気な先生のお姿にまずは大安心、十年来の忘恩のお詫びをしながらなつかしさ、うれしさに涙が止まりませんでした。
 生涯の師と仰ぐ一臼先生にお目にかかれたこの幸せは誰にも侵すことの出来ない喜びでした。そして今尚、究極の筆の極意を研鑽しておられる脳裏の若さに感服致しました。先生の多感な若き日に作られた詩「思い」を全文空んじて聞かせていただき、その当時と少しもお変わりない先生のやさしさをひしひしと身に感じました。“吉鷹さん、淡水の浮身だよ。非凡から平凡だよと禅語で今の心境をお話しになり、「おわり」と大きなお声で締めくくられました。実に鮮かな弟子への応対でありました。これも先生のお好きな言葉の一つですが、今先生の澄み切った「透徹」の世界にお住みになっておられるのだと悟らせていただき、私も静かな心で再会を約してお別れ致しました。
  〜(中略)〜
 米寿のお祝いのおめでたい日、次は卒寿、白寿をお迎えになることを祈念申し上げます。
                                                 拝  松香
 生涯の恩師 河田一臼先生
   



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昭和24年9月〜11月の3ヶ月間、書道講習認定のために東京芸術大学へ一臼先生は出かけられました。岡山駅での見送りには、神崎紫峰氏のほか吉鷹まつ子嬢なども来てくれていたと「ふるさと日誌」に記述されています。







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     「永劫の 月となりたり 師の笑顔」 (松香) ・・・〜〜〜・・・ 「風寒し 永劫の月 宙天に」 (一臼)



  恩師 河田一臼先生
                                          吉鷹松香
 2000年十一月三十日。三時。生涯の恩師河田一臼先生ご逝去。刻動不可。以来筆舌に現せない空虚な、放心状態が続きました。
 体の中にポッカリあいた空しさ。この穴をどうして埋めることが出来ましょう。半世紀に餘る多くの思い出と御教導を戴いた偉大な存在でありました。8月27日。ほてい様そっくりの慈顔で、笑って、笑って、あごがはずれたと大騒ぎした最後の日。あの思い出を胸の奥深く大切な宝物にして生きて行く外ありません。泣き虫弱虫の私に、先生は苦難の道に出合っても、勇気と希望を持って生き抜く人生観を、強くたたき込んで下さいました。昭和45年玉龍会発足当時、一臼先生にお出しした私の手紙覚えておられますか。
 「新緑のいぶきとともに誕生した比類なき玉龍会。筆一筋に生命を懸け、峻厳なる眼で時限を越えた世界とたたかい、追究して止むことを知らぬ永遠の若者。そしてなんとも捕らえどころのない暖かさ。そこに、高潔な一臼先生の人間像を見る。一臼先生を囲む多才な生命の集いに侍る喜び。もうそれだけでよいのだ。少しづつ咀嚼していただこう。一足一足。ゆっくりゆっくり道を辿ろう。それが私の人生なのだ。」 今も私は自分にこう呼びかけています。一臼先生逝きて四十日目。東の空に眩いばかりの十三夜の月が雲間からニッコリ微笑んでいます。
「かえりみれば」のおわりのことば。「風寒し 永劫の月 宙天に」まさにその通りの風景を見せています。永遠の生命を私達の心に残して下さった先生の魂は、次の世まで生き続けると信じます。徹道居士となられた先生。これからも天空に飛翔し千変万化の大傑作を書いて、私達を厳しく暖かく見守ってやって下さい。
 感謝の涙涙、アリガトウゴザイマシタ。
 どうぞ安らかにお休み下さい。心よりご冥福をお祈り申し上げます。   平成13年1月8日 記  





 

 <碧水園の扁額(濡れ額)> 一臼(当時・一丘)先生揮毫
                                     画像をクリックすれば拡大できます。
       碧水園は岡山・後楽園の裏門にあります。

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昭和56年(1981)10月〜広島にて            ●平成5年頃〜岡山下石井公園にて画像
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平成3年(1991)1月6日〜岡山・西文明堂三階にて
           玉龍会書き初め例会記念写真(一臼先生79才)
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昭和35年(1960)〜書道場にて        ●昭和46年(1971)11月14日岡山県総合文化センターにて
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                            第2回玉龍会展最終日。60才還暦なりたての一臼先生。
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左側・玉村海蘆先生、中央・河田一臼先生、右側・三宅素峰先生       作品解説する一臼先生
                (昭和39年(1964)第2回墨象会展直前での一コマ)

これらのビデオ映像を後日、このコーナーで公開します。画像


◇第2回墨象会展・題字・パンフレット
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心に語りかける書三宅素峰の世界三宅素峰とその周辺展平成21年4月14日〜19日於:岡山県天神山文化プラザ
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江田五月参議院議長を囲んでの記念撮影〜
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<align="right">★江田五月参議院議長</align="right">






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